ターニングポイント

要点

化学流季節の挨拶/ラボ配属の季節/配属戦争/成績が大事/運も大事/筆者は下位層/個人毎のラボの重要性/大学・学部の3つの機能/機能性から導かれるグラデーション/個人毎の要求のスペクトラム/テーマの面白さだけに目を奪われてはいけない/知的好奇心というドライビングフォース/ターニングポイントの理由/修士号取得希望者こそ/修士号では不十分/憧れ/あの名言/野うさぎのなんか/実はどの分野でも良い/過去の偉大な科学者たち/


 窓際のジエチルエーテルが消失する季節となったが,読者諸君は如何お過ごしだろうか.最後にキーボードを叩いてから丸4ヶ月が経つが,気温としては最も厳しく,スケジュールとしては最も寂しい頃合いとなった.

 さて今回の記事は,何らの主張や気付きを考察するものではなく,ただ近況を述べるだけのものである.


漸くのラボ配属,本決定は2ヶ月後

 予てよりの嘆きとして研究に関するものがあった.一般に理系の大学では,学部3年次いっぱいまでは座学と実験にて単位が認定され,4年次から研究を含むセミナーが開かれる.一方で弊学科では3年次後期から学生が研究室に割り振られ,研究の準備や導入などが行われる.したがって,多くの大学より半年ほど早く専門分野が確定することになる.

 今は丁度夏学期が終わった頃であるため,各々の学生も自身の専門となるであろう分野に対して格別の期待を抱いているところである.斯く言う筆者も例外でなく,ある2つの研究領域のどちらの世界へ踏み出すかを決めかねているところなのである.


配属競争

 分野の選択を決めかねていると述べたが,ただ両分野とも捨て難いから優柔不断になっている訳では決してない.事態は配属競争ゆえのものである.この競争は,累計の成績であるGPT(Grade Point Total)によって順位付けがなされ,各研究室毎の最大定員の約半分までがこの順で優先的に決まるというものである.したがって,定員のもう半分は運なのである.過去に学科内成績トップ10全員が定員8名のラボに挙って志願したという事例がある.ルール上,半分は希望が通るがもう半分は成績が加味されない.そのため,成績がある程度良ければ安心という訳ではないのである.ちなみに,筆者は成績ヒエラルキーにおける下の上~中の下をウロウロしているので,配属において成績が有利に働く可能性は一切無い.


大学の役割毎に見る研究室配属の重要度

 少しだけ込み入った議論に入る.ここでは,研究室配属が持つ重要性が学生によって全く異なるという観点を深堀するものである.

 その前に大学の役割を再確認しておく.筆者の認識するところでは,大学には教育機関,研究機関,職業訓練機関という3つの側面がある.そして,各学部でこれら主要機能が異なる旨味となって受験生を呼び,在学生の需要に応えるのである.例えば,教育学部は教師を育成するための教育を提供し,一定期間の実習が卒業要件となっていることから,教育機関・職業訓練機関としての側面が強い.理学部・工学部や文学部などでは,教員らがラボを運営して学術研究を行うことから研究機関として強力な存在感を放っている.その一方で,学生の受ける教育には直接的に職に繋がるものは多くはないため,大学院に進学するか,企業や公務員の就活をするしかなく,職業訓練機関としては余り力はない.

 これらは学部毎の大まかな傾向であるが,当然ながら教育学部で教育の研究をする研究者がいたり,工学部などの事務局が国家資格取得の支援をしたりする場合もざらにあることから,結局はグラデーションとして考えることが望ましい.

 さて,学部毎に機能性のスペクトラムがあることを確認したが,同様に学生毎にも期待する機能に対するスペクトラムがある.工学部で研究室配属される者の中には,学部卒で就職する者,大学院進学・修士課程修了後に就職する者,博士課程進学・学位取得後にアカデミアでの職を志す者...などと多様である.ここで漸く始めに宣言した観点を深掘りできる.

 研究室ごとの色は運営する教員のモットーに強く影響を受けるため,基礎研究を重視するラボ,企業との合同研究や成果の製品化を重視するラボ,取り合えず学生を卒業させるラボなど千差万別である.それを踏まえると,例えば,公務員志望の学生が製品開発系のラボを希望したり,アカデミア志向の学生がいい加減な教員の下に就くのはあまり合理的であるとは思えない.この問題点は一見当たり前のようであるが,ラボの掲げる研究テーマの面白さに目を奪われて,目的を見損なう学生がいることによって問題たり得るのである.


 以上の言説は,「好奇心の駆動のままに学問を選ぶことの何が悪いのか」という反論を受けそうであるが,実際その反論は正しい.寧ろ,筆者がやっている諸々のことが反論側の論点である知的好奇心なのである.どういうことかというと,筆者はアカデミア志向であるから修士取得で学問を終えるような半端者に道を阻まれたくないのだ.つまるところはやっかみである.そのため,同期学生諸君にはよく考えて貰いたいと思っている,余計なお世話であるだろうが.


如何にターニングポイントとなり得るか

 最後に,なぜ研究室配属がターニングポイントとなるのかを述べる.ラボによって機能性のスペクトラムが異なることに言及したが,この影響を直接的に被るのは修士号取得後に就職する者たちである.希望する会社に就けるかどうかは,どうやら専攻する分野に深く関わるようだ.確かに,石油化学系の企業にセラミックス化学の者が居ても営業職としては心強いとは言えない.(一応述べておくが,昨今は修士卒では研究職に就けるかどうかは微妙なところである.財閥系の大企業では間違いなく無理である,と進路指導担当の教授が言っていた.)

 筆者は希望する研究室とテーマに一定以上の憧れや情熱があるが,最終的な目的地であるアカデミアを考慮するならば,実はどこのラボだって構わないのだ.しかしここまで特定のラボに拘泥する理由としてはやはり,これまで育て続けた学術研究に対する羨望があるからだ.そして同時に脳内にちらつくのは,

『憧れは理解からは最も遠い感情』

という言説や

『夢だった幻だった憧れはそのままで マサムネにもKurtにもなれずに死ぬんだな』

というロックの嘆きである.


 矛盾するかもしれないが,筆者にとってはどの研究室や分野だって構わないが,この配属競争は重大なターニングポイントなのである.それは,不本意ながらも足を踏み入れた領域で偉大な業績を残した過去の偉大な科学者たちの存在が証明している.


Phylmer.M

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