冬の終わり、マウンテンデュー、この一年について(2024年度の個人的な総括)
2025年が既に4分の1ほど終わりかけていることにまずは驚いている。早い。そして、大学に行っている旧友の多くは4月から最終学年になるので、なんか少し差をつけられた気分である。大学院進学する友人もいれば就職する友人もいるので、友人間の進路に関するバラエティーは豊かで、これは良いことだなあという感じである。筆者の個人的感覚として、西暦の新年よりも年度替わりの新年の方が「新年感」が強いのであるが、これは多分、環境の変化がダイレクトに感じられるからだろう。それに伴って、一年で得た学びや失敗や想い出みたいなものも4月から3月で総括したくなる。
という訳で、この記事は今年度では最後になりそうなので、筆者の2024年度を総括していこう。ちなみに、今回はマインドマップや下書きなどの準備をせずに書いているので、口語的ではあるが、おそらく読みずらいはずである。どうせ誰も読んでいないだろうから良いんだけどね
学問的な面からの総括
今年度は自分の専門領域により深く足を踏み入れていった感じで、大変意義深いものだったように思う。大学入学したての頃は漠然と超分子化学が面白そうだと思っていたが、今ではその解像度が上がって、早く研究がしたくてたまらない。研究室配属は半年後であるが、実際に研究が始まるのは丸一年後である。早く研究したい。
専門外の学びには二つ大きなものがあった。一つは、物理学はムズすぎるということ。もう一つには、政治や思想が意外と面白いということ。
夏に自主ゼミで電磁気学をやったが、数学の基礎体力がなかったので大変だった。これを機に独習の物理学はいったん凍結することにする。砂川理論電磁気学からやり始めたのは我ながらアホ過ぎたが、今後、専門の化学が忙しくなっていくのでちょうどいい引き際が見つけられた。次年度は量子化学でまた物理学とすれ違うことがあるはずなので、またな、という軽い感じで諦観というほど重たいものでもない。
政治に関しては、どこが始まりかは定かではないが、多分、6月頃に読んだ石原慎太郎の新書が発端だと思う。あれのおかげで、老人みたいな考え方が芽生えた。同時に、気合の入れ方を思い出せたので、秋学期は1度もサボらず努力を継続できた。また思想の方向では、マルクスの思想や色々なアナーキズムを知ることができた。諸々全部面白かったのであるが、安々と他人に話せる話題ではないのでちょっとかなしい。
精神的な面からの総括
この一年でこれまでのgloomyを克服できた。夏くらいまでは2年前からの精神の摩耗を引きずっていたのだが、なぜかこのタイミングで全快した。なぜだろう。思い当たる節はあるが、あまりに個人的過ぎるのでここには書かない。
また、石原慎太郎に影響を受けすぎて、批判の仕方がますます老人化している。『○○だとはけしからんな!』とか『なにを馬鹿げたことを言ってるんだ!』みたいな。それと、変な日本語を見て『ちょっとおかしな日本語だね。助詞の常套からすれば…』という風に考えてしまう。
ある程度は精神的に強(したた)かさを得たのであるが、病みかけの頃の、何というか哲学が生まれてくるような感覚が残念ながらなくなってしまった。やはり哲学者はメンヘラ糞野郎なのか。
まとめ
今年度は他にも、学部1年次で得られたであろう学びが、筋肉痛の様に遅れてやってきた感じである。それは、諸々の活動に対して常に深く意義を求めようとしていることと同時に、精神的な安定性を得たことから、やっとまともな見方が出来てきているのだろうなという感じである。次年度はもっとまともな人間になれるように努力していく次第である。
2024年の冬ももうすぐ終わりであるが、ようやくサナギから脱却できそうな気がする。来年度に得られる諸々がザコに似合いの妄想でないようにしていきたい。
Phylmer.M & 天之
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