科学のはなし
見どころ(abstract)
/読書にハマってる/文系/文系の智慧/科学/文系と理系/体育会系?/科学は科学/科学≠自然科学/カテゴリーの話/文化人類学のユニークさ/経済学は合っている/英語はやっとけ/実用性のヒエラルキー/優劣ではない/倫理という足枷/工学は最強/無限の発展?/繁栄の終了/形式科学 the ultimate/いつかの知恵、いつかの願い/
筆者はここ一年間、非常に読書に熱心である。ジャンルは様々であるが、専門分野以外では社会学、思想史、人類学、またはそれらの分野に関する新書が多い。普段は自然科学や応用科学といった、所謂理系の科学分野しか勉強していない分、社会科学や人文科学の領域で、あっと驚くような知恵に出会い、知見を拡げられたと感じるのが大変新鮮でよい体験である。
Science
さて、ここで科学の話をしようと思う。科学という言葉を聞くと、市井の人は自分にはあまり関係ない、とか、理解が及ばない、とか言うかもしれない。それらの反応の裏側には文系と理系という二項対立があるように感じられる。つまり、科学は理系のものとして見ている者が多く、彼らは実際に文系の出身が殆どであるから無関係を装うのだ。しかし、科学の前には文系や理系といった馬鹿げた区分は存在せず、また体育会すらも存在しない。すべて同じScienceという樹の梢なのだ。
その根拠はというと、文系は主に人文科学、社会科学で構成されており、理系は自然科学、応用科学、そして両者とも形式科学を共通の土台にもつという事実だ。字面を見てわかる通り、全て科学である。ではなぜ、科学が理系のものと捉えられがちなのだろうか。それは思うに、科学=自然科学という正しくない認識が広がっているからである。科学の面白さを子供たちに教えるワークショップや特別講座みたいなものは、専ら理科や数学が題材となっているのが現実だ。
科学を隔てるもの
文系・理系は大まかなカテゴライズ(区分け)としては機能する。すなわち、人間が生み出した文化や芸術、歴史を対象とする科学を文系、自然の真理とその延長線上にある人類の営みを対象とする科学を理系、といってカテゴリーを創り出している。しかしこの区分は正確ではなく、例えば、人類学の理念はというと極めて文理混合的である。人類学は様々な領域を内包しており、自然人類学・先史人類学・文化人類学などがあるといわれている。この3つの中では自然人類学が理系で、先史人類学・文化人類学が文系であるといえる。一つの学問分野の中に文系・理系が混在しているものだから、奇妙である。(しかし、だからこそ面白くもある。)
余談ではあるが、OISTに所属しているSvante Pääbo氏は人類学の手法としての遺伝子を用いた研究で2022年のノーベル医学生理学賞を受賞した。氏の研究で現生人類ホモ・サピエンスはその歴史の中でホモ・ネアンデルターレンシス(ネアンデルタール人)との交配を行っていた可能性が高いと分かったそうだ。
要は、文系・理系という区分は相応しくない場面があるということだ。そうだ、触れておかなければならないのは大学の経済学部の立ち位置に関する事柄だ。あれは文系という括りで正しい。理由は至ってシンプルで、立派な社会学であるからだ。数学を使うから理系だという意見は浅慮も甚だしい。ついでに言うと、国語と外国語は文理関係なく勉強しなさい。
現実の有用性は学問の価値?
ここで一度、科学を二分している文理の壁を取り払ってみよう。そして、市井の人が「そんなもの勉強して将来何になるの?」と言ってきそうなものを選び取ってグループ①、ある学問分野での職業や資格が容易に想像できるものをグループ②とし、ピラミッドの下部に①を、上部に②を配置してみよう。おそらく、文学・哲学・民俗学や生物学・地学・物理・化学などが下の方に、法学・工学・医学・薬学などは上の方に来るだろう。
この時見えてくるのは現実での便利さ・有用性に対する即効性のヒエラルキー(階層)である。つまり、理学や文学といわれる基礎的な科学の上に応用科学的な分野が積みあがっているのだ。ただし、この階層は優劣の尺度ではない。あくまで現実への応用性の明瞭さであり、換言すれば、倫理の足枷を嵌められやすい順ということだ。
工学はここがすごい!
筆者の専門領域のうち、大きな分類としての工学という領域について私見を述べる。結論から言ってしまうと最強の学問領域である。
それはなぜかというと、自然科学をベースとしてこの世の真理を理解しながら、実社会の制約の中でその知見を如何に応用し人類の発展に貢献するか、を考えるからである。それはつまり、学ぶべき事柄の文理の隔壁を自ずから取り去るのだ。前述した通り、文理の壁を取り払うと実用性・有用性の要求が出てくる。工学というものは、人類から溢れ出る発展への欲望を一つ上のステップへ押し上げるのだ。医学や薬学などの日常感覚として分かりやすい身体尺の課題解決をもたらすものではないかもしれないが、人類を発展させたのは間違いなく工学である。
「有限の地球で無限の発展は可能なのか」
工学は人類の発展に最大級に寄与しているが、この発展はどこまで続けていくことができるのだろうか?現実への応用性という視点で考えると、いつか発展を諦めることも工学的な営みとなるかもしれない。
形式科学から始まり、形式科学へ収束する
文系・理系の区分がくだらない理由の一つに、形式科学の存在が挙げられる。人文・社会科学の基盤は言語が、自然・応用科学の基盤は数学がそれぞれ担っており、また、それぞれの背後には哲学(※philosophy:哲学 という意味でなく、人間の考えを意味する日本語の”哲学”)や思想が見え隠れする。すべての考える行いは哲学・思想に端を発しており、また、応用性のヒエラルキーの上層や、極めて抽象化・高度化された諸理論では、倫理の問題として改めて哲学・思想の問題が現れる。したがってすべての科学の領域は形式科学から始まり、形式科学へと収束すると言っても過言ではなかろう。
学問は、一般に考えられるように下から上へと樹状の発展を遂げたのではなく、寧ろ惑星の上を巡るように球状に発展してきた。これからも未知は発見されていき、同時に解決すべき問題も必ず現れてくる。
我こそは問いを唱える者、そして同時に答えを探す者である。
Phylmer.M
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