活力に満ち溢れた亡者の話(定期更新4)
あらゆる社会の仕組みには格差が存在し、その格差ピラミッドの上へと登るために
多くの人が努力していることだと思う。
今回は私が大嫌いなカネに関する所感を架空の人物Xに託して書いていく。
Xは一般的な家庭に生まれ、育ち、少年時代は平均的に遊び、学び、過ごしていきました。
そして彼が大学を卒業し、とある企業で働き出した頃のことです。彼の上司Nが言いました。
“世の中カネが全てだ。カネがあれば人が動き、人が動けばさらにカネも動いていく。
カネさえあれば欲しいものはなんでも手に入る。ウェルビーイングはつまり財産だ。
そして社会を生きていくには何をするか、ではなく誰と人脈が繋がっているか、が大事なんだ。”
学歴社会、縁故社会、実力主義社会…
この世には様々な種類のバトルフィールドが乱立しているようですが、ことNに関しては縁故がモノをいう世界で生きているようです。
実はNの父親は当会社の社長で、N自身将来の地位が約束されていました。
また彼はあらゆるブランド品、高級車、その他庶民の羨望を集めるものを持ち尽くしていたので、
特別に裕福な暮らしをしてきたわけではないXはその話を間に受け、自身もそうなりたいと思うようになりました。
インベストメント、フィナンシャルマネジメント、FX、ベーシックインカム、キャピタルゲイン…
今日の日本には、言語の侵略と言っても差し支えないほど謎カタカナ語が溢れていますが、それらの多くはそれまでに存在しなかった概念の入植であり、普通の言葉としてビジネスの場では当然のように使われている様です。
さて、Xがそんな英語とも日本語ともわからない言語に塗れて久しくして、彼の生活は変化しました。
投資で一攫千金を目論んだ彼は、様々のセミナーやガイドブック、情報商材に手を出すうちに、金を稼ぐことを人生の生き甲斐とした、まさにカネの亡者となってしまいました。
豊かな暮らしには大概お金が掛かるため、お金を稼ぐことはより良い生活への一手段と言える。
そのため、Xの様な価値観を得てしまった場合、豊かさへの手段を手に入れることが目的となり
手段と目的が倒錯してしまう。
目的のために手段が存在するのであり、その手段がただ1つということはあり得ない。
或いは手段のために別の手段を得ることが必要となることもあるかもしれない。
いずれの場合でも、確固たる目的意識とそれを実現させるための計画性が大切であり、
手段のために目的を蔑ろにする者は結局のところ無能なやる気モノなので銃殺すべきだろう。
過去に執着せず現在を見つめ、未来のことをある程度考えて過ごしていけば辛いことなんてない、と自分に言い聞かせて今回はお開きである。
Phylmer.M
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