逃避行動について思ったこと(定期更新1)
今後だいたい一月に一回くらいの頻度で,定期更新と称して他人には話せないような
由無し事を書いていきます。
『やるべきことがあるのにやる気が出ない』
という経験を誰もがしたことであろう。現在進行形で私がそうである。
こういった状況の時にとる行動で人は2種類に分けられる,と私は考えた。
⒈やる
これができる人は最大級の尊敬に値する。
大抵の場合,作業を始めてから徐々にやる気が出てきて,難なくタスクを消化してしまうのだ。
⒉やらない
私である。
しかしこの行動をとる人の中でも,もう少し分類できると思う。
ⅰ,やるべきことの周辺部の作業をする(本題のやるべきことはやらない)
ⅱ,何もやらない
ほとんどの人は何もしない罪悪感から逃れる為に前項を選択する。
(しかしやるべきことをやっていない点で両者は同類である)
このとき我々がしているのが「逃避行動」である。
例えば,
“勉強をしようとするが気分が乗らないので,まずは机上を整理してよりよく集中できる環境を作ろう“
と考えて掃除を始める人がいたとする。
この人がしているのは逃避行動の最もメジャーな例である。誰もがやったことのある逃避だ。
ここで注目したいのが,この逃避行動は,
〈逃避すべき課題という『モノ』を机という『場所』に投影して,逃避している罪悪感から逃れる為にその『場所』で物理的に周辺作業をしている〉ことである。
これと反対のことに,私は中学生の頃から遭遇している。
級友で「一日に○○時間勉強している」と結構すごい勉強習慣を言い放った者がいたのだが、
おそらく,真実は「一日に〇〇時間を勉強した気になる為に座っている」だろう。
これは、勉強の内容は他所に
〈机という課題が投影された『場所』で作業することによって、あたかもやるべき『モノ』を処理した気になっている〉のだ。
結局両者ともやるべきことを何ら達成できていない。
結論ではないが、最終的にはストレスを負うのだから早めに着手することが大切である。
例えば大学受験のような長丁場になると、点数を稼ぐためだけの作業に飽きて、定理・公式を
導出しようとしたり、欄外の発展知識ばかり吸収していく者がいる。(私である)
簡単なものならむしろ為になるが、ロピタルの定理を証明しても検算以外に使えないし、微積を使って物理の問題にアタックしても沼に嵌るだけだし、標準電極電位とかなんて必要になった試しがない(出題例はあるが)。
これは完全に逃避行動に走っている例であり、自分が何をしているのかを客観的に分析して軌道修正をするべきである。(ただし学問的な面白さは今後のモチベーションに繋がるので夏頃まではむしろ発展的なことをしていて良いのかもしれない)
要はつべこべ言わずにやれ、ということである。
Phylmer.M
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